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Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
早いもので人生も半ばを過ぎ、今まで忙しく見過ごしてきた身の周りをもう一度見つめなおし、ゆっくりまったりどっぷりとこの街で生きて行こうと思っております。

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まだまだ続きます。
この街を救ったもうひとりの偉人。

昭和30年1月1日。

深谷町、明戸村、幡羅村、大寄村、藤沢村が合併し初期の深谷市が誕生した。

その初代市長「安部彦平」氏は稲荷町で乾物問屋「永徳屋」を営んでいた人物。

この永徳屋さんが実は深谷ねぎの名付け親でもあるんだ。

大正時代、暴落したねぎを信州、北陸、東北、そして北海道へと売り込む際に”深谷ねぎ”と呼んで運んだらしく、もし、永徳屋さんがそのお役目を上手くこなせなかったら今の深谷ねぎはなかったかも。

P1040110.jpg

それ程永徳屋さんの功績は大きいんだ。

詳しいことはよく分からないんだけど、その功績をたたえてか、稲荷町から寿町、そして緑ヶ丘へと唐沢川に架かる橋に「永徳屋橋」というのがあるだけど、橋の名前を問屋さんの屋号にしちゃうとはいくら昔の話とは言え凄いことだよね。

今じゃスタジアムなどの命名権をお金で買える時代だけど、この当時はそんなことは絶対にできなかったはずだし。

P1230005.jpg

昭和35年2月成とあり、見るからに歴史を感じる橋。

P1230010.jpg

今でもしっかり人々の往来を支えてる。

P1230011.jpg

橋の歴史は人の歴史でもあると改めて感じさせられる橋の代表格だ。

特に唐沢川に架かる橋の歴史には本当に感心させられる。

橋、それこそが深谷でもあるんだね。

もしこれからまたひとつ新しい橋が作られるとしたら、今度こそ自分の名前をと・・・お思いの御仁おられたら、これからの人生せいぜい気張ってみてはいかがでしょうか。

ノーベル賞受賞、国民栄誉賞、そのくらいのレベルの活躍でもしない限り無理でしょうが、ね。
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深谷市 | 09:04:50 | コメント(0)
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