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Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
早いもので人生も半ばを過ぎ、今まで忙しく見過ごしてきた身の周りをもう一度見つめなおし、ゆっくりまったりどっぷりとこの街で生きて行こうと思っております。

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ナイス~♪
先見の明。

この街を救った偉人たち。


毎朝、寒い日が続いてるね。

雪になるといってた昨日の雨、予報が外れて雪にはならなかったけど今朝はそれが凍ってしまい、道はツルツル。

皆様、滑って転ばぬようお気を付けあそばせ。

さて、以前ご報告した「秋元氏」の続きですが(今頃かい!)

秋元長朝さん、ご自分の在所(上野台・上柴周辺)の農地があまり肥沃ではないと見抜くと、周辺の者にお茶の栽培を推奨したんだね。

P1270002.jpg

きっとお百姓さんは苦しかったんだよ。

お百姓さんは良い作物ができなけりゃ生きていけないもんねぇ。

その辺りじゃ田んぼで稲をというような土地柄じゃないし。(今じゃ高級住宅地になっちゃってるけど)

一段高い高台になっちゃってるもんね。

もちろんワタクシが幼少の頃にもまだこのあたりは桑畑ばかりで、このド田舎の養蚕産業をさせていたのは確かだけど他には何を作っていた、なんて記憶がない。

でも、その桑畑の隅にはれっきとしたお茶の木があったのをしっかり覚えてる。

お江戸の時代の初期から推し進められていたお茶の栽培は昭和の中期にも規模は極小の自家消費用(?)とはなっていたとは言え、しっかり受け継がれてた。

もしも、そのまま栽培が盛んにおこなわれていたなら狭山、深谷とこの県のお茶の二大産地となり、静岡や鹿児島、京都に負けないお茶の国になっていたかもしれない。

残念ながら今は見る影もないけど。

さて、その時代に栽培されたお茶なんだけど、隣の本庄宿や群馬に売られていったようだね。

そこでそんなお茶を運ぶためにできたのが”茶売り街道”なんだとさ。

P1270106.jpg
P1270109.jpg

その昔にお茶が盛んに栽培されたという事実を知らなければ意味わかんないよね、茶売り街道なんていう名前じゃさ。

そしてこの茶売り街道は奇しくも深谷の宿場町が唐沢川の氾濫で水没した時の裏街道として利用されもしていたらしんだ。

お茶の栽培は思わぬところで人々を救っていたんだね。

これも秋元さんの優れた手腕のたまもの。

実にち密に計算されたうえの改革。(まぐれ当たり、濡れ手で粟、一攫千金、犬も歩けば棒に当たる・・・だったのかも)

橋を必死で立て直そうとした行人さん。

そして、お茶とう回路という奥の手を築いた秋元さん。

どちらもこの深谷を救った功労者に間違いなし。

やったね、今なら栄誉市民賞確実よ!

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深谷市 | 09:05:23 | コメント(0)
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