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Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
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これでおわりだよ
リベンジ、上里町 (番外編)

≪運命のいらずらなのでしょうか≫


キクさんのパイロット人生が終わりを告げた昭和12年の2年後、昭和14年(1939)、第二次世界大戦が始まった。

キクさんはその頃、満州で開拓のために入植。

其の5年後になんと、、、キクさんの生まれた七本木に至近の児玉・上里・神川の三村(現在は一市二町)にまたがる広大な土地に飛行場ができてたんだって。

当時は”八町八反飛行場”って呼ばれていたらしい。

IMG_0950.jpg

もちろん軍専用の飛行場だけど、その景色、姿を見たらキクさん、どう思ったろう。

そもそもこの飛行場には第一四四飛行大隊が配備され、硫黄島攻撃、太平洋近海の敵機動艦隊への攻撃や特別攻撃隊の拠点になったんだって。

硫黄島?

太平洋近海?

特別攻撃隊?

そっか、小型のゼロ戦から大型の爆撃機まで滑走できるくらい広いって訳だね。

それにしても児玉から東京湾まで直線距離でどのくらいあったんだろう?

燃料は持つのかい?

もうこの頃の飛行機は性能も良くなってるしきっと攻撃しても戻ってこれた、、、若しくは攻撃してから他の飛行場に下りるって言う作戦もあるよね。

あまり海に近い飛行場じゃ敵に攻撃されちゃうからある程度の距離も必要かな。

IMG_0917.jpg
(児玉飛行場跡の碑と戦死されたがたの鎮魂の碑)

奇しくもキクさんが満州へ開拓に行っている頃、故郷ではそんな飛行機が盛んに飛んでたんだ。

軍への従軍飛行士を願い出たキクさんだったけど、却下されて本当は良かったのかも。

昭和18年に完成した児玉飛行場、そのお役目はたった3年でその幕を閉じたんだって。

IMG_0919.jpg
(投下された焼夷弾の残骸)

飛行場完成当時、満州のキクさんは再婚、長男誕生とつかの間の幸せを味わっていたころだね。

終戦後、この土地には百十余名の入植者による開墾が行われ、当時からスイカの栽培が盛んにおこなわれていたみたいだけど、現在では工業団地となって殆ど農地は残ってないけど、あの櫛引同様、直線でひたすら長い道がここは開拓地だったということを証明してた。

IMG_0912.jpg

IMG_0913.jpg
(開拓とスイカの碑)

IMG_0952.jpg
(南北東西に伸びるひたすら長い直線道路)

飛行機と開拓の町、なんだか運命みたいなものを感じるお話でした。

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埼玉県その他 | 10:20:10 | コメント(0)
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