2021-03-02 Tue
それなら。。。熊谷市の別府氏、だったら深谷市にだって豪族がいらっしゃいましたよ。
そうそう、七福神巡り、布袋様の一乗寺。
そこに「人見氏」とおっしゃるお方達。

その人見氏の累代のお墓がその一乗寺にあったよね。
そもそも、人見氏ってどんな方達かって、そっからが分ってない。
深谷市の豪族だっていうのに。
まあ、そんなものさ。
地元って知ってるようで知らない、、、近すぎて興味を持たないっていうか、無関心。

だから「人見館跡」ってあるのは知っていたけど、一度も見たことがない。
いや、むしろ見たこと、知っているひとの方が少ないかも。
ほら、看板が立っているのに。
深谷市の誇る史跡・・・なのにだよ。(笑)

多分、小学校や中学でも先生に教えてもらった記憶がないし、もちろん教科書に載っていたこともない。
南北朝の時代、教科書にあるのは足利と名のつく足利尊氏と後醍醐天皇、楠木正成、そして新田義貞ぐらいかな。
武蔵七党、猪俣党なんて誰も知らないよ。
テストにも出なかった、、、と、思うけど。。。(笑)

もっと地元に即した教育も必要かな???
と、そっちじゃない。
ほら、「人見舘跡」、見えてきたよ。
そっか、、、ここの傍までは来たことがあるなぁ。

でも、素通りしてたよね。
興味なかったから・・・人見氏って誰よってね。
おっと、これは珍しい。。。

この手の史跡に先客が。。。
殆ど、お客さまを見たことないよ、、、こうした文化財級の遺跡に。
地元の方たちみたいですね、、、お散歩の途中でしょう。
歩いて帰られましたわ。

さて、ワタクシも見学、と。
な~んと、衝撃事実発見!
あの深谷を治めていたの上杉房顕(ふさあき)さんのご親戚ですか?
上杉憲武さんによるリフォームがなされたとな。
もちろん大工さんがやったんでしょうけど。。。

その上杉さん、結構エコな生活していたんですねぇ。(笑)
無駄な出費は抑えて、、、地味に、、、か、どうかは知りませんが、いや、もしかしたらめんどくさがり屋だった???
それとも土地だけを利用したのかな。

廃墟を住めるようにした、、、貧乏暮らし、、、いいえ、きっとご立派な住居、、、国宝級だったので保存の意味も兼ねて。。。だったら、エライ!
って、もういいから。。。
今残っている土塁は、そう言われればそうかなあ、、、って感じくらい。
ただ土が掘られたか、盛り上げられたか、その程度だけど。

当時の土木技術では最高級の出来栄えだった???
だから、上杉憲武さんも捨てがたかった、そう思いましょう。
土地柄っていうんですか、、、ここも段差があるんですねぇ。

ここもきっと水には困らなかった、、、だからこんな土地を選んだ・・・もかも。
水道がある時代じゃない。
井戸を掘るのも大変だもんね。
湧き水が出ていればこんな楽なことはない、、、、そんな土地が好まれていたのかもね~。
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