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Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
早いもので人生も半ばを過ぎ、今まで忙しく見過ごしてきた身の周りをもう一度見つめなおし、ゆっくりまったりどっぷりとこの街で生きて行こうと思っております。

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合掌
慶応4年(1868)5月23日

渋沢平九郎 志半ばにしてこの世を去る。


顔振峠、平九郎茶屋。

そう、いつだったか一度行った場所。

生憎、その日は体調悪くそのまま帰路についたのだが・・・。

渋沢平九郎
慶応3年 パリ万博の随行の渋沢栄一の見立て養子となった尾高惇忠の末弟。
兄惇忠や栄一従兄弟の渋沢喜作らと共に彰義隊に参加。
後に脱退し振武軍を結成。
飯能戦争の末敗れ敗走するも仲間とはぐれ顔振峠の茶屋にたどり着く。
女主人加藤たきの忠告を聞き入れ身分を隠し黒山に下ったが、安芸広島藩の振武軍敗残兵掃討の兵士に見破られ応戦するも右肩を切られ腿を撃ち抜かれ観念し、最後は心静かに自刀。午後4時ごろのことであった。享年22歳。


この越生黒山にその自刀の碑が渋沢一族の手により建てられている。

黒山三滝からわずかに離れた場所だ。

奇しくも命日の翌日、ちょうど亡くなった同時刻にこの場を訪れたのだが、辺りは山に囲まれ薄暗く、濃い緑と静粛に包まれたこの場所で平九郎の心中察するにはあまりに淋しすぎる景観。

故郷を思い、親兄弟を慕い、若き命がここに消えたと思うといくらその時代の宿命とは言えやるせなさでいっぱいとなった。

もし、茶屋の女主人のもうひとつの忠告を聞き入れ秩父への逃走を実行していたならその命も未来も全く違ったものになったに違いない。

今やハイカーやツーリストで賑わう平九郎茶屋ではあるが、ある若者の運命を決定した分岐点でもあった。

何とも悲しい運命。

思わず掌を合わせずにはいられなかった。
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埼玉県その他 | 08:03:57 | コメント(0)
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