2023-02-15 Wed
広すぎて無理!大洗の町をいったん離れます。
行き先は今夜の寝床、水戸市。
だけど、まだホテルのチェックインには早い。
だったら少し水戸市市街を観光しますか、、、となれば、先ずは偕楽園でしょう。

大洗から1時間もかからず着いちゃいました、が、駐車場が満杯!
さあ、どうする。
あちこちに駐車場があるらしく、、、、でも、どこもいっぱい。
まさかの三波湖の駐車場までいっぱいになってました。
で、諦めようかと思っていたところへ、車の出ていく駐車場を発見。
すぐさま、そのスペースに駐車。
はあ、疲れたわ。

さて、偕楽園とは???
偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられ、天保13(1842)年7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により造られました。
「偕楽園」という名は、「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という中国の古典『孟子』の一節から名づけられており、「領民と偕に楽しむ」場にしたいという斉昭公の強い想いが感じられます。
造園に際し、斉昭公は自らその構想を練り、藩校弘道館を勉学・修行の場、偕楽園を休息の場として、互いに対をなす一体の施設として設計したとされ、また園内に別邸として建てられた「好文亭」も、その建設位置から意匠に至るまで、斉昭公が自ら定めたと言われています。
現在、偕楽園には約100品種3,000本の梅が植えられ、かぐわしい早春の訪れを告げてくれます。2月中旬から3月にかけての「水戸の梅まつり」を皮切りに、桜、つつじ、秋には萩、初冬には二季咲桜と、花々が季節を届けてくれます。
(水戸観光コンペション協会HPより)

徳川斉昭(水戸斉昭)さんが作ったのね。
水戸斉昭と言えば15代将軍慶喜のお父さん。
そもそも水戸藩と言えば渋沢栄一が使えたことで有名じゃん。
幕末、栄一さん慶喜の弟の昭武と渡欧。
そこから人生大きく変わったんだよね。

そう考えると、この水戸って言う場所は深谷市とも所縁ある地。
水戸黄門さんも格さん助さんと深谷宿にお泊まりなさった(???? 笑)
そんな水戸藩を象徴する偕楽園です。

だけど、これが広い広い。
さっきの三波湖が遠く霞んでる・
地図で見るとすぐそこなんだけどね。
さすが、日本三大名園ですわ。

なにせ、ここはまだ偕楽園の園内じゃないんですから。
ホテルで言ったらエントランス。
入り口にも入ってない。
だけど、植えられている樹木の素晴らしい剪定。

本当に一流の植木職人さんの手によるものですわな。
それだけを見ることができただけでも凄いことだと思うね。
さて、それでは本丸へ。

ところが入り口が遠いい、遠い。
小高い山の上だもんで、その坂道が・・・こりゃ大変だわ。
やっとたどり着いた入り口には入園料300円なり。
その門をくぐって園内へ。

(歴史上の人物.comより)
いたるところに斉昭さん、ゆかりのモノが。
水戸のひとたちにとって斉昭さんはカリスマだったんじゃないかと思うんですよ。
水戸と言ったら校門様、、、じゃなくって、斉昭さんなのかもね。

もうひとつ。
偕楽園と言えば梅園。
でも、まだ咲いていませんでしたわ、白梅は。
梅まつりにも一週間早かったみたい。
それにつけても広すぎて、、、1時間や2時間じゃこの庭園を見るのは無理!
もう、この辺で諦めてホテルに向かいましょう!
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