2020-10-17 Sat
知らなかったのは・・・。群馬県旧新田町。
言わずと知れた、「新田義貞」のふる里。
その町をフラフラ歩いて、、、そうなんだなぁ、、、太平記の里、、、そんな場所の近くだった、、、深谷って。

戦国武将と言えば畠山重忠、岡部六弥太、、、そうね、イマイチメジャーじゃないよね。
平家、源氏、その辺りが一流なら申し訳ないけど、、、叶わないかな。
別に知名度でランクをつける訳じゃないけど、、、新田家はその次にランキングされるくらいの位置づけかな。
そこで、足利家に勝利したら英雄だったけど・・・(笑)
足利と新田、、、ライバル、、、今の町は、、、競争していないけど。。。

面白いでしょ、、、北関東の勢力争い。
いいや、問題はそんなところじゃない、、、(笑)
その新田家の所縁の神社がある、、、しかも、旧新田町じゃなくって。
実はワタクシ、、、知らなかったのです。
そんな神社があるなんて・・・。

その神社、「冠稲荷」と言います。
深谷市の人間にとってはあまり馴染みのない神社???
知らないのはワタクシだけだったのでしょうか。

国道354号バイパスの傍にあるんだけど、、、分かりにくいかな。
位置的には太田西部工業団地の東、国道407と上武国道との間ぐらい。
東武伊勢崎線細谷駅の近く、、、分かんない人は地図で確かめてくださいな、、、説明ができません、、、申し訳ない。。。(笑)

冠稲荷って言うくらいだから、お稲荷さんだよね、、、キツネね。
新田家のあった館の鬼門に当たる場所って言うから、、、反町薬師(反町舘)なのかな。
詳しくはわからないけど、そこに新田義貞の父親、新田義重、その父親の源義国が作ったって伝えられているらしい。
京都の伏見稲荷(源義経が作ったんだって)の流れを汲んだ神社だよ。
その当時、お城の鬼門(北東)にあたる場所、または裏鬼門(南西)に神社を祀ることが多かったよね。
深谷の滝宮神社も深谷城のその位置に鎮座しているんだよね。

その冠稲荷の冠は、義重さんが戦に出かける際に兜の中に神様を呼んで必勝を祈願したところから名づけられ他という説が一般的みたいだけど、、、その真相は作った人にしか分かりません。(笑)
だけど、、、元々稲荷ってそんな神様じゃなんだよね。

もちろん、お寿司でもないよ。
「稲がなる」という意味なんだよ。
キツネはその神様のお使いなんだって。
だからお稲荷さんは五穀豊穣、農家さんの神様なんだけど、、、キツネさんばっかりが脚光を浴びちゃって、きっと神様はふてくされているかも。。。(笑)

まあ、ともかく、そんなことよりも、この冠稲荷。
どうしよう、、、何の知識もない、、、どんな神社かも知らんし・・・。

パンフレットを見ると色々な見どころがあるみたいだね。
とりあえずは、予行練習みたいな。。。下調べ的な、、、そんな感じでちょこっと見学しましょう。

だけど、、、本当に知らなかったんだよね。
マジで太田市周辺は新田家の名所でいっぱいだね。
それに拍車をかけたのが呑龍様や世良田の東照宮。
歴史的にはピカイチの場所だったんだね。
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