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Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
早いもので人生も半ばを過ぎ、今まで忙しく見過ごしてきた身の周りをもう一度見つめなおし、ゆっくりまったりどっぷりとこの街で生きて行こうと思っております。

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まさかみっつもあるとはねぇ。
ここから始まる ≪何故?≫ その2

さて、偶然手に入れちゃった星野富弘さんの本。

あれ、美術館は確か草木湖のほとりだったように記憶しているけど。

140116183011_0.jpg
(画像はお借りしました)

えっと、住所は群馬県みどり市草木86とある。

そっか、旧東村なんだね。

それを聞いたらおかしなことに気がついた。

あれれ、東村って確か、他にもあったよね。

伊勢崎市の北側だったっけな。

あの辺も確か東村って呼んでいたけど・・・。

で、ちょいと調べてみたら平成の大合併(2005年~2006年)で今はその名もなくなっちゃったみたいだけど、群馬県には東村って3か所にあったんだって。

それどころか、その前のまだワタクシたちが生まれる前の昭和の大合併(1950年)まではもう2か所あって合計5か所の東村が存在していたんだって。

なんだそれ!

でも、やっぱり馴染深いのはそのうちの3ヶ所。

それがこの地図ね。

群馬県東村・番号付き

はっはは、これじゃ分からないよね。

では、もうひとつ。

地図

この地図と照らし合わせてもらえば、どのくらいの位置なのかわかると思うけど。

さて、どうしてこんなに東村ができたかと言うと、これには訳があるんだなぁ。

それが、またややこしいのよ。

時代は遡って古事記や日本書紀が書かれていた時代。

どんだけ昔なのかよく分かりません。

その書物の中に登場する伝説の勇者、ヤマトタケルノミコトが絡んでくるの。

220px-Yamamoto_Takeru_no_mikoto_between_burning_grass.jpg
(画像はお借りしました)

このひとが東国を治めようと遠征を始めてんだけど、その帰り道で起きる事がらから東村の歴史が始まるんだよ。

なんとなく難しそうなお話になってきちゃったでしょう。

ワタクシもそう思うのよ。

めんどくさいんで、このお話は明日にもう一度ご説明いたしましょう。

追伸
ワタクシ、訳あって現在外出を控えております。
本来ならば、現地に出向いて写真のひとつでもと思うのですが、事情が事情だけにその点はご容赦ください。
また、その理由は後にご報告いたしますので、あしからず。



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群馬県 | 04:55:41 | コメント(0)