2017-02-13 Mon
広大な土地ですわ「荘園」
このお話となると大化の改新にまで遡らにゃならん。
それまですべての土地は国の物だったのね。
だけど、そうすると農民の志気が上がらんのよ。
そこで藤原氏の政策で墾田永年私財法なるものが施行されたのよ。
なに、それ?
これはね、開墾をしたものがその土地を所有してもいいって言う法律。
それを新田義重は新田の地を開墾して新田荘を築いたのよ。
この新田荘は広かったのよ。

深谷市の小山川沿いの高島や横瀬辺りまで広げていったなんて史料もあるんだそうな。
一方、弟の足利義康は足利荘へ。
そう、あの足利も荘園だったのよ。
たぶん広さでは新田荘の方が広いんじゃないかと思うけど、ここで重要なのが水よ。
新田にはそりゃ大本の利根川が、そして支流の石田川という川がその役目を成してる。
もちろん、足利には渡良瀬川があるから水には困らなかったのでしょう。
豊富な水が無けりゃ開墾しても米がつくれないもんね。
新田荘にはそんな古くからの水源が残されているらしいよ。
そんな新田荘も代々開拓を広げ義貞の時代には広大な土地を手に入れていたんだろうな。
それじゃ、その荘園の中心となる新田氏の館は、、、というと、これが何ヶ所かあるのでワタクシも未だによく分からないんだけど、そのうちのひとつ、世良田の総持寺に行ってきたよ。

いやいや、デカいお寺さんですわ。

ここに舘があった、らしい。

茅葺の鐘つき堂は風格充分。

館跡に作ったお寺さんの説明書き看板もあったりして。

いやいや、歴史を感じますな。

きっと当時はこんな感じだったのかもね。
と、言う訳で、この一帯の農地を紐解けば、新田氏が開墾をした農地ってことになる。
農地にだって”由緒ある田んぼ”なんてものが存在するんだね。
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