2017-01-24 Tue
「戦国悲哀物語」 その2先ずは源為義の子、長男の義朝は南関東を治め、異母兄弟次男の義賢(よしたか)は北関東へ。
その義賢さんはこの嵐山町の大蔵に舘を構えるんだ。

それが「大蔵舘」
今でも大蔵神社として残ってるよ。

でも、長男義朝さんと義賢さんとは仲が悪かったんだろうね。
義朝さんは自分の長男の義平さんに大蔵館を襲撃させるの。
それを「大蔵合戦」って言うんだって。
この義平さん、悪源太義平(あくげんたよしひら)って呼ばれてる。

あくげんた・・・って(汗)
その時、義賢さんの一族はほとんど殺されちゃったの。
悔しかったろうねぇ。
でも、この時2歳の次男、「駒王丸」ちゃんだけは助かったのね。
本当は(殺しちゃえ!)っていう指示があったらしいんだけど、可愛そうだものね、そんな小さい子をさ。

その救世主があの畠山重能(しげよし)さんと齋籐実盛さん。
ほ~ら、知ってる名前が出てきたでしょう。
畠山重能さんは畠山重忠のお父さん。
そして、妻沼の聖天様の斎藤実盛さんだよ。
その二人のおかげで救われた駒王丸ちゃんこそが「木曽義仲」なのよ。
ええええ、じゃあ、どうして木曽なのって思うでしょ。
それは簡単、木曽に逃げて木曽で育ったから。
その駒王丸ちゃんを救った、その為に大きく世の中が動くんだよ。

そう、歴史はこの二人の決断で動いたのよ。
つづく
スポンサーサイト


にほんブログ村