2017-01-21 Sat
歴史のロマン、、、だよね。菅谷舘を彷徨っていたらこんな物に出くわした。
「いざ、鎌倉へ」

源頼朝が開いた鎌倉幕府の有事の際に、各地の御家人が鎌倉へとと続く道を整備した。

その道こそが鎌倉街道。
なるほど、”全ての道は鎌倉へと続く”と教わってきたが、その通り、この嵐山の街にもその名の道が存在していたという訳だね。

そう言えば、鎌倉街道って足利を散策していた時も観たような気がしたね。
地図にあるように鎌倉街道は、武蔵・上野を通りそして碓氷峠から信濃へ。
もう一方が下野から白河関へと。
その分岐点がこの地図でいうと群馬の邑楽郡あたりか。
そう、鎌倉街道って埼玉県のほぼ中央を縦断しているんだ。

たぶん、現在の道とは随分姿を変えていると思うけど、でも、基本はこの鎌倉街道だということなんだろうね。

この地図が菅谷館近くの地図ね。

それじゃ、深谷市周辺はどうなってるかというと、これね。

美里方面から関越花園IC、花園橋辺り。
ふ~ん、川本地区の畠山重忠さんの生まれ故郷近くを通ってるってわけか。
妻沼の齋籐別当実盛さんや熊谷次郎実篤さん、更には岡部六弥太さんなんかもこの道で鎌倉に向かったんだね。

ふ~ん、なんだか平安・鎌倉の時代の香りが漂ってきそうだ。
目をとじるとその当時の様子が…と言うほど、ワタクシは想像力豊かじゃござんせんよ。
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