2016-11-18 Fri
実はこんな関わりがあるんだよ。こんなに綺麗な金龍寺のもみじだけど、このお寺さん、実はあの新田義貞と深い関わりのあるお寺さんなんだよ。
というか、この金山城城主由良氏の菩提寺なのよ。

その由良氏とはどんな方かというとね、これがまたややこしいのよ。
もう何度か金山城跡の紹介をしてるから今回はその部分は省くけど、その金山城のお殿様だったの、由良氏って。
その由良氏って元々は深谷市の横瀬(豊里地区)を本領としていた、そのものずばりの横瀬氏なのよ。
その横瀬さん、改名して由良さんになったんだけど横瀬さんは由緒正しき新田義貞の三男の子孫なんだって。
この横瀬さんは足利氏の流れを汲む金山城主の岩松氏の重臣だったんだけど、クーデーターをおこし、いやその時代でいう下剋上でこの金山城の殿様になっちゃった。
その岩松さんも本来は新田義貞の末裔で新田岩松って名乗ってたから、実はもとをただせば親戚筋。
まあ、戦国時代の関係は難しいわな。

そんな由良氏が建立した金龍寺には新田義貞の供養塔があるのよ。
”墓”ってあるけど、この物が新田義貞が眠る墓ではないんでしょうね。

先祖(新田義貞)の供養のために建てた五輪塔なんだね。

でも、新田義貞に関わりがある、ことだけは確かなわけだし。

そう、太田って言えば呑龍さまが一番に思い出されるけど、この金龍寺もすごいお寺さんだよね。
ハイ、これ、写真じゃよく読めなけど、太田市のHPに同じ説明書きがあったので貼っておくよ。

大田山金龍寺は曹洞宗の寺で、寺伝によると、寺名は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものです。創建は応永24年(1417)に横瀬貞氏がその祖とした新田義貞を追善供養するため開基したとされています。近年の研究によれば、金山城の重臣であった横瀬氏が文明年間(1469~1486)に創建したとする説が有力です。
その後、金龍寺は下剋上により新田(岩松)氏を退け金山城の実質的な城主となった横瀬氏(のち由良氏)一族の菩提寺として興隆しました。しかし、天正18年(1590)、金山城の廃城に伴ない、由良氏は常陸(茨城県)牛久に移封され、金龍寺も寺僧とともに同地へ移りました。現在の金龍寺は慶長年間(1596~1615)に、この地を領した館林城主榊原氏により再興されたものです。
太田市、なんだかすごい歴史を持つ街だよね。
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