2016-08-21 Sun
モラルとか道徳というものを意識して生きようぜ。
ユリの球根掘り体験。
「少しでも多くの人が球根堀を楽しみ、そして多くの家庭でユリの花を咲かせてください」
それがこのイベントの趣旨だと思うのね。
だってこんなに多くの人が集まってそして球根を嬉しそうに抱えて持って帰るのだから。
花好き人間にとってこんなに嬉しいイベントはないよね。
関係者に感謝だよね。
その関係者の話だと8時開始なのにそれよりもずっと早い時間から大勢の人が並んで待っていたんだって。
雨が降る中を…。

一旦は中止だろうと考えていた関係者もその熱意に負けて…みたいなことを言っていた。

そうだね、それだけ嬉しいイベントということ。
だけどね、駐車場で空くのを待っていたワタクシは悲しい場面を目撃することになったのよ。
第一陣が帰ってきた。
そして第二陣、三陣と。
殆どがご夫婦で来園。
だから20株ものユリの球根が手に入った訳でしょ。
でもね、それで帰る人はほんの一握り。
だっていくら待っても駐車場は空かないし、それどころか車にゆりの株を車に積んだそのあとにまた新たな袋をとりだし掘りだし会場に向かっていくんだよ。
ここに早くから並んだ人たちは何度も何度も掘りだし大量の球根を手に入れるために早く来ている…。
なんだそれ!
駐車場が空くわけがない。
ほら、ひとり10株って注意書きがあちこちに貼ってあるじゃん。

順番を待っている時、「私は二回目なのよ」って平気で話してる品の良さそうな奥様。
どう見てもさっき汚れてしまったような長靴のオバサマ。

出口でひとり10本って本数を確認してるじゃん。
去年は本数を間違えて1本多く抜いちゃった株を「これはこちらで頂きますね」と、係りの人に抜かれて、それを申し訳なく思い、誤魔化そうとした訳でもないのにとても恥ずかしいことをしてしまったなと反省した自分はいったい何だったんだろう。

そもそもさ、ひとつの家庭に20本もユリが咲いたらもう充分じゃない?
そんなに家中をユリだらけにしたいわけ?
そんなルール違反をしてまで花を咲かせたって、そんな花を綺麗だなって思えるわけ?
最近の風潮として、「おばちゃんは図々しいのが当たり前」みたいなことをお笑いのネタとしてよく使われがちだし、何を勘違いしているのかそれで許されるなんて考えている人が多くなってる。
子供たちに道徳、倫理を諭さなければならぬはずの人生の先輩方、それはやってはいけないことだぜ。
それを黙認しているこのイベント関係者もだよ。
もしも、株、球根が余ってしまって、勿体ないというのならもう一度並びなおして掘ることも可能ですよ、的なお知らせをすればいいじゃん。
そんなお知らせもなく、さぞそれが当たり前のような行為をしてる輩を黙認。
きちんとルールを守ろうとしてる人がどう見てると思う?
「そんなことはお構いなしよ、上手くやったもの勝ち!」的な人たちと「しょうがないや」の関係者。
すごく気分が悪い!

それはそれはご苦労もあったでしょう、ここまで花を育てたんだから。
でも最後の最後でお恥ずかしいイベントになっちまった。
もうこんな風景を見ちゃったこのイベント、残念だけど来年はもういかない。
そんな姿を見たくない。
どうしてもユリが欲しいのなら買う。
だってこの会場にいる球根を販売している方、とっても気前がよくってお安く手に入れられるもん。

そのほうがよほど気持ちがいい。
花ってそういうものじゃない?
無断で採ってきちゃった花を美しいって思える?
皆がもっと気持ちよく終わろうよ。
きっと大量に持って帰る人、手入れできないな、綺麗に咲かせらえないな、枯らせちゃうな。
だって今までにそんなに大量のゆりを個人のお宅で見たことないもん。

一番かわいそうなのは、迷惑を被ってるのは、ユリの球根。
可愛そうな球根たち。
そんなイベントだったよ。
スポンサーサイト


にほんブログ村