2015-10-04 Sun
そりゃこれだけ集まればまた壮観ですわな。はい、月のうんちくついでにもうひとつね。
でも、、、これは、、、よく分からない・・・。
だって、ワタクシの住むところにそうした風習はないんだから。。。。
それじゃご紹介いたしましょう。
旧岡部町岡にある百庚申。
ここ、はい、中山道でございます。

国道17号と深谷バイパスとの間にあって道の駅おかべ、中宿歴史公園から西に向かって1~2kmぐらいかな。

百庚申というくらいだから本当にいっぱいあるんだけど実は60個ほど。

かなり古いものらしく、貴重だったりして。
さて、問題はこれから。
庚申塔っていったい何?

はいはい、調べてみましたよ。
でもはっきり言ってよく分かんない。
だからかなり間違っているかもしれないけど(と、言い訳しておいて)、元々は中国発信の道教なんだって。

庚申信仰っていって三尸虫(さんしちゅう)っていう虫が庚申の日に天帝に人間の悪事を報告に行くんだって。
嫌な虫だね~(笑)
そうすると人間の寿命が短くなっちゃうからそれを防ぐために庚申の日は夜通し宴会をしたり勤行したり。
夜通しっていうのは聞いたことが無いけど、それに似た話はきいたことがあるよ。
庚申って十二支でいうと猿なんだよね。
だから猿の置き物があって、それを各家で持ち回り、その家が幹事となって宴会(現在では食事会程度)を行うんだって。
庚申の日は60日周期、それを3年間18回行うとそれを記念して庚申塔を作るんだって。
だから庚申塔のある場所の近くに住む人達は庚申信仰に熱心だったっていうことだね。

それがこの岡地区に60個もあるってそりゃ相当だったわけだよね。
説明書きによればこの辺りの13名で行われていたらしいよ。

ふ~ん、なるほどね~。
昔だから・・・っていうこともあるだろうけど、そうして仲間意識や人々の絆を深めていったんだろうね。
きっと強い結束で結ばれ、そして子孫も同様に受け継ぎこうして今のこの時代まで残されたんだと思うよ。
道教(宗教)はいずれにしてもこうしたところからのご近所付き合いはお互いの強い協力関係にあり、強いて言えばこの庚申塔は村全体をまとめるうえでも重要な礎になっていたに違いないよね。
ワタクシ、それ程歴史には詳しくないし、ましてや庚申信仰なんてさっぱりわからないけど、この中山道をその昔旅をした人たちにとってこの庚申塔群はきっと素晴らしいものに感じたに違いないよね。

だって、3年に1個ということならそれが60個あるということは180年以上にわたって熱心に信仰してきたことだからさ。

庚申塔
結構見かけるものだけど、それがどういうものなのか知らなかったワタクシ。
まあ、またひとつお勉強になりました。。。ということで。。。(難しいなあ)
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