2015-08-22 Sat
時が経てば見えなかったものも見えるようになることもある。
お蕎麦、わらじカツ丼、そして豚肉の味噌漬け。
それだけが目的じゃないよ、秩父路。
もうかなり時間が過ぎちゃったけど、昨年の34か所霊場御開帳の際に周らせていただいたそのお礼参りの旅。
今回は逆打ちで30番~26番まで。

(30番札所 法雲寺)
何処も一度は来たことのあるお寺さんだから何となく勝手が分かる。
でも、違うんだなぁ。
あの頃はいつでも巡礼者の方が必ず数名、またはたくさんの方がいらしてかなり賑わってた、どこのお寺さんも。
だけど今はどこのお寺さんもひとひとり会ったことがない。

(29番札所 長泉院)
本来のそのお寺さんの良さって、こうして静かな中でひとりぽつんとお庭を見せていただいたり、ちょっと小高いところにある境内からの眺めを楽しんだり、そういうところにあるんじゃないかと思ったよ。
その時はノリだけで御朱印をいただくためだけに周ってた、って言ってもいいくらいの感じで、今から考えると気恥ずかしささえ覚えちゃう。
特にここ終盤のこの辺りのお寺さんは特にそういう感じだったよな、時間もなかったし。

(28番札所 橋立堂)
その証拠に、「えっ、こんなにきれいなお庭だったっけ」、とか、「あんなところに観音様が・・・」、とか、そんな新たな発見をいくつ見つけたことか。
静かな中に身を置き心静かに、そして感謝をもって再び手を合わせる。
お礼参りとはただ単にお礼を申し上げるだけのものではなく、もう一度自分自身を見つめなおし浮世離れしたこの世界で清められたた心を持ち、そうして現世の俗世間に戻っていきなさい、という仏様の教えではないかと思えてならなかった。

(27番札所 大渕寺)
本来のお参りの意味ってこんなところにあるんじゃないのかな。
清々しさを感じたり、清涼感に浸ったり、それこそがこの旅の目的だとしても仏様は決して怒ったりはしないよね。

(26番札所 円融寺)
そんな身勝手な自己満足で終わってしまってしまいそうなこの旅でも、どうぞご慈悲のお心をもって見守っていてくださいませ。
スポンサーサイト


にほんブログ村