2015-08-17 Mon
「蚕の里」 どこかで見たような。。。それにしてもこの島村、これと同じような風景を何処かで見たことがあるような気がして・・・。
そう、血洗島の渋沢栄一宅、「中ん家」の付近と同じだよな。


地理的に見たって島村と血洗島とでは”お隣”とまではいかないまでも(ご近所)だものね。
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だから弥平さんのお宅のような櫓のある家が結構ある。
ということは、やっぱりこの辺も養蚕が盛んにおこなわれていたって言うこと。
それだからこそ、渋沢栄一さんが登場し、そして尾高惇忠さん、韮塚直次郎さんを引き連れて富岡製糸ってなった訳だ。(もしかしたら順番が違っているかも、、、まちがってたらごめんよ)
いずれにしてもこの辺りはその昔、ねぎの生産、そうねぎ畑じゃなくって桑畑だったのかもしれないね。
まあ、どちらがいいかという事は別として、そうして農家の皆さんは歴史を築いてきたわけ。

きた考えてみれば主役はあくまでも農家の人々。

渋沢栄一さんは優れた演出家、そして田島弥平さんがさしずめ原作者であって監督・営業も兼ねてたってことなのかな。
小さな蚕が本当にたくさんの人々の生計を支え、そして繭となっていずれ世界に誇れる産業へと進化していったんだ。
二十歳で着る艶やかな晴れ着もそうした歴史があったということやね。
今やお隣の大きな労働力や化学繊維の開発に押され、衰退しつつある養蚕業だけど(最盛期の1%ほどだそうです)確かにこの国を守ってきた事は事実。
今、ワタクシがこうして生きているのもあの嫌いだった蚕のおかげ(だと思う)
そんなことを少しでも考えさせられたここ数日のこのことでちょっぴりだけ蚕を見直すことができたような気がする・・・かな。
(やっぱり、、、好きにはなれないよなぁ 笑)
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