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nonki

Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
早いもので人生も半ばを過ぎ、今まで忙しく見過ごしてきた身の周りをもう一度見つめなおし、ゆっくりまったりどっぷりとこの街で生きて行こうと思っております。

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じろ~。
発見! そうか、そうだったのね。

秩父の名店と言われるお蕎麦屋さん。

本来の目的はそこだったのよ。

だけど、相も変わらず「本日休業」の看板のアラシ。

だって仕方ないよね、いつも行くのは平日なんだもん。

月曜日、水曜日、木曜日、この辺での定休日確率はかなり高い。

よりによってワタクシの休日の殆どがその日にぶつかるんだな、これが。

この日は奇跡的にあのわらじカツ丼の超有名店は営業中・・・だったけど。

そうね、店の前に10人ぐらい並んでたかな、平日なのにね~。

時間は既に13時を過ぎてた。

多くのお蕎麦屋さんは14時ぐらいには店を締めちゃう。

ここは迷ったね、、、、このままわらじカツ丼を並んで食べるか、、、それとも、あくまでもお蕎麦にこだわるか。。。

だけどワタクシの知り得る美味しいと評判のお蕎麦のお店はもう分からないし・・・、この暑さでカツは、、、、ないよなぁ・・・・。

え~い、こうなったら何処かの知らないお店でもいいや、飛び込みでお蕎麦にかける!

いやいや、ワタクシ、驚きましたわ。

秩父のお蕎麦っていうくらいだから秩父の街中が中心だと思ってたんだけど、そうじゃない!

街を過ぎ、横瀬、荒川、ここで食べ物屋さんと言ったらお蕎麦屋さんしかないって言ってもいいくらいにお蕎麦屋さんが並んでる。

いや~、知りませんでしたよ。

むしろ秩父のお蕎麦って言ったらこっちの方が本場なの?

たくさんのお蕎麦屋さん、より取り見取り、どれも美味しそうで迷っていたら荒川村の道の駅まで来ちゃったよ。

ここで少し情報収集できたらいいなって駐車場に車を止めて・・・ありゃ、ここにもちょっと魅かれる佇まいのお蕎麦屋さん。

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しかも営業中だし。

もうここでいいや、って振り返ったらそこにもお蕎麦やうどんのお店(道の駅のお店みたいだね)。

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でも、やっぱりこっちだな。。。「あづまや園」さん。

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えっ? お店の前にブドウの棚が。

そっか、ブドウ狩りも一緒にできる観光農園的のお店だから”園”なのね。

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時間も時間だし(14時ちょっと前)、食べさせてもらえるかなの不安の中、引き戸を開けると一組のお客様がお蕎麦をすすっておられました。

「まだ大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、お好きな席にどうぞ」

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小上りで外の景色を見ながら、とも思ったけどひとりだし、ここでいいやとお店のド真ん中のテーブル席へ。

静かな雰囲気、そして目に映るものすべてが田舎の良さを醸し出す店内をきょろきょろしてると・・・・。

ワタクシ、完全な間違いを犯しておりました。

その後、何組かのお客様が次々にご来店。

え~、ワタクシ、四方八方から見られてる・・・・。

実に落ち着かん。

それ程待たずに注文の天ざるが運ばれてきたんだけど、もうそれどころじゃない。

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いやはや、この小心者にも困ったものです。

気にせずもっとゆっくり食べてりゃいいのに、、、ねぇ。

かきこむ、かきこむ、ツルツル、ズーズー。

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いや~、大変でした。

だけど、のどごしのよいツルツル感はしっかり味わってきましたよ。

それとお出汁が美味しかったな。

一緒に運ばれてきた蕎麦湯と少し残ってたわさびを入れて、、、これがお蕎麦の二度目のお楽しみだよね。

それにしてもワタクシ、やっぱりお蕎麦の香りって分からないんだよな。

味覚がダメなのか嗅覚が鈍いのか今まで一度も感じたことが無い。

そんな奴が秩父のお蕎麦だとか荒川はすごいだとか、ちゃんちゃらおかしいっていうの!

だけどね、いいじゃん、小心者が周りを気にしつつひとりで味も分からずお蕎麦をすすってたって。

前にも書いたけどさ、お店の雰囲気(”天丼”じゃないよ、”天井”だからね)が好きなんだから。

かなりの確率でお蕎麦屋さんは良い天井をお持ちで。。。♪

まあ、それはそれとして荒川村には後で判明したんだけど一面の蕎麦の花で埋め尽くされる畑があるらしくって、観光名所(?)となっている場所があるんだって。

秋の蕎麦畑、ちょっと魅かれるし、ここはまた来るしかないな。

そしてまた、たっくさんあるお蕎麦屋さん巡りもしたいよね。

ただし、定休日、本日休業の看板との戦いにもなりそうだけど、それでも出向く価値は絶対にあるよ。

またお楽しみが増えちゃったな~。

まだまだワタクシの”求める旅”は続きそうでござんすね。






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グルメ | 16:30:03 | コメント(0)
てんじょう~♬
あなた、いったい何を見てるの?

いつも思うんだけど、お食事のお店の人気ってなんだろうって。

口コミ?

食べログでよい評価だったから?

本当に美味しいから?

混んでいるから?

何を基準に皆さんお店を選ぶんだろう・・・って。

正直にいいますが、ワタクシは味音痴で鈍感なのです。

だから評価もできなければ好みなんて言うのもよく分かりましぇ~ん。

悪いけど、どこのお店も美味しいと思うし、逆に有名なお店だからって特に美味しいとも感じません。(ごめんなさい)

そう、分け隔てなくみ~んな美味しいんですから。

もちろん、お気に入りのお店なんて存在しませんよ~。

だけど名の通ってるお店にはそれなりに魅力を感じるし、もし運よく食べられたなら”行ってきたよ”ってみんなに自慢もしたい。

何度も通って”馴染のお店”だなんて一回でもいいから言ってみたいよね。

ひと昔前の言葉を借りるのならそう言うのを”ミーハー”というんだよ。

(ははは、味もよく分からないのに、ばっかみたい 笑)

だって、いかにも玄人ぽっくってかっこいいじゃん!

たぶん皆さんはそんな理由じゃないよね。

そんな自分でもひとつだけ「このお店はいいな!」って心底思うお店の条件があるのね。

味でもなければネームバリューでもない。

もちろん口コミでもなければご店主の人となりでもない(それもすごく重要だけど)

それはね、なんと《天井》なのね。

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照明を含めて見上げた時の景色というか雰囲気というか。。。好きなんだよね~天井が。

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どういう天井が好き?って聞かれても答えようがないんだけど、そのお店の全体の雰囲気と美味しいもののイメージとがピッタリ合った時の心地よさったらありゃしない。

新しいから、とか、歴史を感じる、とかじゃなくってすべての雰囲気ね。

ホントに良いお店は味も特別良く感じたりしてね。

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だからメニューを見る前に先ずは天井を見ちゃう。

変なお客だな~。

だけどそれが好きなんだよなぁ。

何の変哲もないお店の天井でもすごく魅力的に感じたり、元々凝った作りの天井ももちろんすごく憧れる。

もうそれだけでもそのお店全体を感じ取れるんだよね。

簡単にいっちゃうとね、「天井良ければすべてよし」ってね。

なんじゃ、そのお店選びは!

あんた、ず~っと上を向いてなさい(笑)






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その他 | 12:49:29 | コメント(0)
いつのまにか
「繭の里」 番外編 《埼玉のシルクロード》

正直に申します。

実はこの「繭の里」の原点は秩父の荒川村なんだよね。(それがあって逆に島村からお話を進めたんだよ)

たまたま遊びに行った荒川村。

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その荒川道の駅に併設されている「山里自然館」へ偶然足を踏み入れてから、「ああ、ここも養蚕が盛んだったんだね」って。

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ホントは”ここも”じゃなくって、この秩父は全国的に見ても養蚕に関しては我が町なんかよりももっと有名だったらしいんだ。

だから逆に秩父の技術が里に下りて、そして深谷やその周辺にも広まったってこともあったかもよ。

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そもそも蚕には桑が必要で、その桑さえ栽培できれば蚕を飼える訳で、この秩父のような山間の村だって立派に産業として成り立つわけ。

だから他の作物を作るのにはふさわしくない土地だって日本有数の養蚕の村にもなれるんだ。

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問題はその流通経路ね。

だって今ほど道も鉄道も整備されていなかったでしょ、秩父って。

繭がどういう経路を経てどこの製糸場に運ばれたかは不明だけど、それに付随した問屋なんかがあって、運ぶための決まった道(シルクロード)なんかもあったりして、色々な人の往来もあったりして、そんなことから町や村ができちゃったりしてね。

秩父の賑わいの一部は蚕のおかげだったりして。

中国から欧州に続くような壮大な規模じゃないにしてもきっとそう言うことがあった、、、、かも。

ちょっとロマン、、、だなぁ。

ワタクシ達の知らない「〇〇街道」なんてものが存在しているかもよ~、もしかしてさ。

あまりに漠然としていて、ただの予想・妄想のテーマだからこれ以上掘り下げて調べるようなことはしないけど蚕・繭・絹にまつわるお話はこの秩父にはいやという程ありそうだよね。

その代表格が”秩父往還”かも。

熊谷ー秩父ー甲府をつなぐ道。(繭がどちら側に下りても不思議じゃないもんね)

秩父から甲府を通って長野方面。

秩父から熊谷、そして群馬。

どちらもあり得るよね~。

今じゃ雁坂トンネルも開通して車がびゅんびゅん走る道だけど、その昔は繭を積んだ荷車が細い山道や峠を行き来していたんだろうな。

目をつむるとその光景が浮かんでくるようだね。

うん、まるで映画や時代物のドラマみたいだよ。

くぅ~、魅かれるね~♪

便利じゃい時代だからこそ人々の工夫がたくさんの成功を導きだした養蚕という産業文化。

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(画像はお借りしました)

まだまだ知らないこと、驚くようなこともたくさんあると思う。

あまり好きじゃない蚕だったけど、ここまで調べる気もなかったんだけど、いつの間にか魅せられちゃったよなぁ。

またいつか繭にまつわる楽しいお話に出会えることを楽しみに待つとして今回はこれで終わりにしようか。










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埼玉県その他 | 16:46:29 | コメント(0)
ちょ、ちょっと、、、
「蚕の里」 番外編 ~歴史を観る~

こうして蚕の里、世界遺産の島村、そして深谷市血洗島をあとにしたんだけど、ここでちょっとひらめいた。

この章をまとめるのに最適な場所のこと。

だけど富岡じゃないよ、あそこは遠いからそう簡単にいけないからね。

もっと身近な場所が実はあるんだなぁ~。

イオン熊谷店のお隣。

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いや、正確にいえばその施設の敷地内にあるのがイオンなんだけど、それが「片倉シルク記念館」ね。

桑の木があるからすぐにわかると思うよ。

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そう、ちょっと新しくってちょっとちっちゃい富岡製糸場みたいなもの(ちょっと違うか・・・)

残念ながら館内は撮影禁止となっているんで写真での紹介はできないけど、とっても綺麗な博物館だからね。

でも、、、、正直、ちょっと不気味・・・・(ごめんなさい)

小さいお子さんを連れてじゃヤバいかな。

ふたつの建物に分かれていてひとつは蚕から繭になるまでを展示品で説明されていて、もうひとつの建物で繭から生糸になるまでを紹介されている。

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ありがたいことに無料で見学させていただけるんだけど、人が少ない時、ひとりになっちゃったりすると・・・ゆっくり見てられない(だって、、、怖いんだもん)

元々この場所は平成6年まで片倉工業(製糸工場)の製糸場として稼働していたそうなんだけどその後停止、その一部の蔵造の倉庫が記念館に改築されたそうで、もちろん展示されている機械等は当時使われていた本物(古いものだそうです)。

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あの富岡製糸場もこの片倉工業さんが富岡市に寄贈するまで管理運営してたんだって。

そうしていくこと、即ち「売らない」、「貸さない」、「壊さない」って言うのがこの片倉工業さんのポリシーなんだって。

まさに”文化と歴史を紡ぐ”とでも言うことでしょうかね、何とも頼もしいお言葉ですわ、感動するな~ぁ。

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どっかの会社とは大違い(苦笑&汗)

そんな民間の力がこの世界遺産の礎になっているんだね。

そんなシルク記念館を”不気味”だとか”怖い”だとか言ってたらバチが当たるぞ~!

興味はあるけど時間がないっていう方がいたらお買い物ついでに熊谷イオンにおいでよ(お店の宣伝じゃないけどね~)。

きっと和服から洋服、更にはシルク製品全般の見方が変わるぞ~。





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熊谷市 | 16:12:41 | コメント(0)
あるよねぇ
「蚕の里」 どこかで見たような。。。

それにしてもこの島村、これと同じような風景を何処かで見たことがあるような気がして・・・。

そう、血洗島の渋沢栄一宅、「中ん家」の付近と同じだよな。

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地理的に見たって島村と血洗島とでは”お隣”とまではいかないまでも(ご近所)だものね。


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

だから弥平さんのお宅のような櫓のある家が結構ある。

ということは、やっぱりこの辺も養蚕が盛んにおこなわれていたって言うこと。

それだからこそ、渋沢栄一さんが登場し、そして尾高惇忠さん、韮塚直次郎さんを引き連れて富岡製糸ってなった訳だ。(もしかしたら順番が違っているかも、、、まちがってたらごめんよ)

いずれにしてもこの辺りはその昔、ねぎの生産、そうねぎ畑じゃなくって桑畑だったのかもしれないね。

まあ、どちらがいいかという事は別として、そうして農家の皆さんは歴史を築いてきたわけ。

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きた考えてみれば主役はあくまでも農家の人々。

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渋沢栄一さんは優れた演出家、そして田島弥平さんがさしずめ原作者であって監督・営業も兼ねてたってことなのかな。

小さな蚕が本当にたくさんの人々の生計を支え、そして繭となっていずれ世界に誇れる産業へと進化していったんだ。

二十歳で着る艶やかな晴れ着もそうした歴史があったということやね。

今やお隣の大きな労働力や化学繊維の開発に押され、衰退しつつある養蚕業だけど(最盛期の1%ほどだそうです)確かにこの国を守ってきた事は事実。

今、ワタクシがこうして生きているのもあの嫌いだった蚕のおかげ(だと思う)

そんなことを少しでも考えさせられたここ数日のこのことでちょっぴりだけ蚕を見直すことができたような気がする・・・かな。
(やっぱり、、、好きにはなれないよなぁ 笑)

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深谷市 | 09:34:17 | コメント(0)
なるほどねぇ
「蚕の里」 島村という場所。

(実はウインドウズ10に手を焼いている・・・・まあ、そんなことはどうでもいいよね。)

じゃあ、島村ってどんな場所?

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それがすごいの。

帰宅してからやっと気付いたんだけど、弥平宅周辺の見学コースみたいなのをうろうろしてたのね。

そうしたらちっちゃい碑みたいなのがあって「島村教会発祥の地」って確かそう彫ってあったと思うんだけど、それを見ちゃったの。

その時はそんな教会のことになんか興味はなくって、「へ~、この辺に教会もあったのか」ぐらいな感じで。

実はこの島村教会は蚕と密接な関係にあったのさ。

そう、田島さんたちはここで蚕の会社を作ったって前に説明したよね。

その会社は世界を相手に輸出・・・ということでイタリア・ミラノをはじめ色々な場所に出向いたのよ。

そこで洗礼を受け教徒となってこの村で布教、そして独自に島村教会として村民に広がっていったって。

そう言えばこの弥平さん宅に来る途中に何とかって言う保育園があって何か大そうな看板が立てられてたっけ。

そこが教会となっていたんだね。

その昔の長崎みたいだよね。

(細川ガラシャや天草四郎を思い出しちゃったけど・・・そんな悲劇は起きてないよね)

「蚕の里」島村はキリスト教の里でもあったんだ。

そんなことが帰宅してから判明した関係でそのことに関して写真が一切ないのがもったいなかったな。

その他にも今はほとんど見ることがなくなった桑の木が見本栽培されていたり、利根川に渡し舟(無料だそうです)があったり色々人の目を引くような取組がなされているんだけど・・・。

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でも、やっぱりここは静かな農村であってほしいと願うのはワタクシのただの勝手な願いなのでしょうかね。

あっ、それともうひとつ。

キリスト教が関係するのかそうじゃないのか、その辺はよく分からないんだけど、ともかくこの辺りの大きな養蚕農家(現在もそうなのかは知りませんが)のお宅。

大きな蔵がるのは分かるんだけど、ともかくとっても大きくって立派なんだよ、氏神様の祠が。

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いつの時代からそういうものが作られたのかは一切知るところじゃないけど、かなりの財力があってしかもご自分のご先祖様に対する尊敬の念、敬う気持ち大きくってこのようなものに現れたと思うんだ。

農村にはよくありがちだけど、だけどここまで立派なものってそうはないと思うよ。

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櫓のある家屋だけがすごいんじゃなくってそんな環境、そして思想や歴史、そんなすべてを見るとやっぱりここは世界遺産に登録されて然るべき場所って言うことなのかな。

いや~、良い勉強になりましたよ。

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群馬県 | 05:41:42 | コメント(0)
これだいじ!
今日の「蚕の里」はお休みして。

特別編 ”終戦記念日に思う”


先ほど、お寺での施餓鬼法要から帰ってきた。

ご住職の今日の説法では三界(現在・過去・未来)の霊を慰めるためにもこの施餓鬼法要は大切であると仰っていた。

(現在)は当然今生きているワタクシども。

そして(過去)はすべてのご先祖様。

更に(未来)はワタクシ達の子孫が今まで行われてきたような不幸な戦争で命を落とさぬよう、そしてすべての人々が幸せに暮らせますようにと祈るのだと。

残念ながらワタクシはその筋のことに精通してはおらず、おぼろげにしかご住職の言った言葉を理解することはできなかったが、すべての人が幸せに暮らせる時が来るのならいくらでも祈りをささげたい。

死後の世界がどうなっているのかそれこそ定かではないが、戦没者はもとより原爆で亡くなられた人々、日航ジャンボ機墜落、そして災害等で本当に多くの人々、そして老いも若きもがそちらの世界に召されてしまったこの季節である。

あまりに悲しすぎる過去の出来事の犠牲者である人々の今がせめて安らかな眠りの中にあると信じていたい。

そして今を生きるワタクシ達。

ややもすれば浮かれがちなこの季節ではあるが、せめてこの数日間、この旧盆の頃だけでもご先祖様の、そして不幸にもそうして命を落とされた人々の、更にはこれからこの星を支える未来の人々のために手を合わせ、二度とそのようなことが起こらぬようにと祈るのは今を生きるワタクシ達の重要な役目。

奇しくも今日は終戦記念日でもある。

70年前のこの日から平和についてそれぞれ多くの方が知恵を出し合って作り上げたこの国の平和。

誰もが望む平和な国はこれからも決して過去の過ちを繰り返すことなく”戦後”という言葉を永遠に引き継いでいかなければならない。

それが今生きている者のもうひとつのおおきな役目でもある。











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その他 | 13:48:24 | コメント(0)
へいき、、なの?
「蚕の里」 ”世界遺産”でいいのかな。

この島村という土地をぶらぶら歩いていたんだけど、普通に生活しているお宅が世界遺産になっている訳ね。

観光地でもなければ景勝地でもないこの農村がいきなり観光地化しちゃったんだよ、その登録後に。

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ここに住んでいる人達はそりゃびっくりこいただろうって。

だって自分の家にプラカードを立てられ、「はい、ここはどこんちさんのお宅だよ」って見ず知らずの人達が大勢押し寄せてくるんだよ。

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公開の時間は決められているものの、何の制約もない一般道沿いにあるお家なんだからそこは見学者のモラルだけが命綱。

そんなのお構いなしに・・・・な~んってこともあったかもしれないし、立ち入り禁止の区域だって守られていたかどうか。

要するに登録後のこの村にはプライバシーとういものが完全に欠落しちゃった訳だよね。

この登録を誇りに思う反面、迷惑に思う住民もいたかもしれない。

世界遺産と登録されると国に保全と保持の義務が生まれるらしく、勝手に家屋をいじることもできなくなる(?)

もし、そんな生活に不自由を感じてしまったらここの住人はどうしたらいいんだ???

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≪知床、屋久島、白神山地、富士山、自然を守りましょう。≫

≪観光客で賑わう平泉、白川郷、京都・奈良。≫

でも、どうしましょう、この島村という農村。

一般家庭の普通の生活。

富岡製糸場との抱き合わせでの登録だけど確かに世界遺産なんだから。

そんなことを思いながら歩いているとこのあたりにお住まのおばあちゃんと思しき人。

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にこやかに見ず知らずのワタクシに、「こんにちは、暑いね~」の笑顔だけが救いだったように思われた。

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群馬県 | 08:16:40 | コメント(0)
かいこ
「蚕の里」 田島弥平という人

さて、世界遺産「田島弥平宅」は現伊勢崎市(旧境町)の利根川沿い、もう深谷から目と鼻の先にあり、登録前までは静かな農村だった(と思う)

それ程注目もされていなかったのかな、何にも知りませんでしたから、ワタクシ(だけかな?)はこの場所もこの人も。

TAJIMA_Yahei2.jpg
(画像はお借りしました)

でも、その近所、そしてその世界じゃかなり有名だったかもね。

だっていっぱい記念碑みたいなものが建てられてたもの。

P7290014.jpg

それじゃ何が世界的に貴重かというと先ずこの弥平さんのお宅ね。

P7290017.jpg

このお家が建てられたのが1863年、もう150年以上も前に作られているんだ。

櫓(やぐら)とういう3階の部分が特徴的で、ここが換気の役目をするんだって。

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空気の循環を促すことでより良い繭を生産する事ができるってことなんだね。

その様式のお家を考案し、その飼育法を実践した人がこの田島弥平さんでこのお宅がその第一号って言うわけ。

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すなわち、この田島弥平さんは学者であり、研究者であり、生産者であり、そして輸出まで手がけた社長さんだったのね。

まあ、俗にいいう”天才”だったんじゃないかなと思うよ。

その輸出なんだけど、イタリアのミラノに直に売り込もうとしたらしんだけど、その計画に一役かったのがかの渋沢栄一さん。

この人はこうした産業の先駆者だし海外に強いからね。

(ねっ、深谷との関わりがあるでしょう)

だけど結局はうまく利益を上げられずその会社はダメになっちゃったらしいんだけど、その養蚕に対する功績は勲章に値するって叙勲を受けているのね。

そう、だってその話は明治の中期なんだから。

近代的な養蚕はこの人の功績のおかげで成り立ったわけ。

それがなければ富岡の製糸工場もなければこの周辺の農家の生計、更にワタクシやその後の農家さんの生活自体危ぶまれていたかもね。

だってすごいんだよ、この辺りの農家さんのお宅は。

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それ程儲かったのかよ、養蚕って。

田島弥平さん、そんな”ひととなり”でございました。



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群馬県 | 06:29:13 | コメント(0)
ごめんよ
「蚕の里」 プロローグ

いせや呉服、といえば当然和服。

和服といえば絹織物。

絹といえば世界遺産の富岡製糸。

と言いたいところだけど、先ずは同じく世界遺産で”ご近所”の伊勢崎市島村の「田島弥平宅」だよね。

それじゃ早速行ってみようか~!

って言うことで。。。

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でもさ、実はね、ワタクシ、蚕って好きじゃないんだよ。

別に虫が嫌いでもないし、芋虫だってへっちゃらだけど、蚕は、、、ねぇ~(汗)

だってさ、昔の農家ってみんなどこの家でも蚕を育てていたと思うんだ。

そりゃ短期間である程度の安定した収入が得られるんだもん。

多少無理をしたってやるわな。

特に大きなお家、例えば田島弥平さんのお宅のようにお二階にそれ専門のお部屋なんかがあればもうそれだけでかなりの収入が見込まれるし、他の作物よりは圧倒的に安定していてそれだけでも充分生計をたてられた思うよ。

でもね、良いことばっかりじゃなくってたいていのお家は人が生活するスペースで蚕を育てるんだよ。

だから蚕がいるうちは人間は隅っこで暮らすわけ。

当然、貧乏百姓のせがれのワタクシは寝る場所もないようなそんな生活を強いられたわけ。

そんな生活を子供の頃のワタクシ達が理解できるわけないっしょ。

要するにトラウマ、良いイメージがないんだよ。

だから例え世界遺産だろうが何だろうが、いまいちこの事案には気乗りしないんだよね。

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でも、それじゃこれで終りってことになっちゃうし、深谷に深く関わることだからここは乗り掛かった舟、最後まで気の済むまで調べてみようか。

但し、あまり深入りはしませんよ、あまり好きな分野じゃないんだからね。


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その他 | 19:17:01 | コメント(0)
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