2015-05-27 Wed
平九郎の足取りをもとめて。官軍に敗れた神武軍。
平九郎は故郷の下手計を目指す。
飯能天覧山・能仁寺(振武軍陣営)からどういう道のりを経て顔振峠に至ったのかは分からないが、地形的に言って吾野あたりから山に入ったのではないかと思う。
焦れば焦るほど最短距離で故郷に帰りたくなるし、山を行ったほうが逃げるのにも都合がいい。

そうして顔振峠にたどり着いたわけだが、そこの茶屋で草鞋をもとめその代価として刀を預けたという。


いくら若い平九郎とは言えかなり険しい山道。
ここまで逃げるのも必死だったと思う。
草鞋も相当痛んだか。
この山を下り小川町まで行けば深谷の地もそう遠くはない。
敗走の屈辱、そして命の危機に常にさらされて心身ともに相当疲れていたと思う。
そこに判断の間違いがあった。
直進し秩父に逃げ延びた従兄弟の渋沢喜作はその後も生き続け、最後は悠悠自適な生活で終えたと。
一方の平九郎は・・・・。
さて、この顔振峠から1kmほど先に傘杉峠、そこから1.5kmほど下ると黒山に至る。


そして運命の時が・・・・。
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