2015-05-17 Sun
寄居町散歩 その4この散歩もクライマックスを迎えようとしてる。
寄居町といえば荒川、そして鉢形城。

この鉢形城、ちょっと複雑で色々な方が城主となっていて実にややっこしい。
それだけこのお城が欲しかったんだよ、戦国武将たちは(と思う)
その中でも北条祭りとして受け継がれ、その戦いの凄さを今に語り継がれているのが豊臣秀吉の小田原攻めで前田利家や上杉景勝、徳川家康の家臣の連合軍35000を相手にたった3000で一ヶ月も籠城戦で耐え抜いた北条氏邦さん。

結局は家来たちの命と引き換えに開城したけど、行田の忍城とともに豊臣に抵抗したその勇気ある行動は今でもそこに住む人々の誇りだよね。
ただ、そのころこの場所を玉淀と呼んでいたかどうかは分からないけど、もし玉淀の名だったらちょうど同じ時代に秀吉の側室、織田信長の姪御である淀の方と同じ名のこの土地を戦を用いて血で汚すことをどう思っていたんだろう。
と、そこまで考えるのはいき過ぎかな、なんて思うんだけど、ちょうどその時代に淀の方は鶴松を産み、秀吉を大そう喜ばせたそうなんだよ。
そんなおめでたい時に玉淀から鉢形城を攻めるなんて・・・。

と、そこを北条氏邦は上手く使ったらもっと違った結果になったかもしれない。
結構、昔ってそういうことにこだわっていた部分ってあると聞いたし、後に徳川家康にへんな言いがかりを突きつけられた淀の方と秀頼が困惑したことを考えればそう言うことがあっても不思議じゃないと思うんだけど。
考えすぎ、考えすぎだよ~。
でも、そんなことをひょっと思ってしまうのは、この平和な時代に生まれてくればこそ。
戦国の時代の話をロマンだなんて言ったらたくさんの戦でたくさんの命を散した人々に申し訳ないけど、そんなことを想像するのは決して退屈なことじゃない。

濃い緑と自然の中で思いはどこまででも馳せていく。
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