2015-04-13 Mon
歴史を語る不気味な風景。櫛挽を徘徊し小さな信号と出くわしたことはこの間の記事で書いたけど、もうひとつ変なものを目にしちゃったんだよね。
それがこれ。

近づいてみたら畑のど真ん中に古いコンクリートの建設物。

これ、どう見ても今は不要の長物とにしか見えないんだけど。

いったいこれ、何???
調べてみました。
これ、かなり有名な建造物だったみたい。
実は戦時中に立てられた弾薬の火薬工場ですって。
な、なんと物騒な。
正確にいえば「東京第二陸軍造兵廠板橋製造所 櫛挽工場」ってやたらと長い名前らしい。
要するに軍需工場ね。
昭和18年、戦局の悪化で本土空襲に備えこの深谷の地に工場を移転してきたって言うわけ。
元々この櫛挽は開墾せねばならないような鬱蒼とした森だったわけで、建造物が目立たぬことが第一条件だったこの地は軍の施設を建設するのにはちょうどよかったのかも。
しかも物資の輸送用に今の植木センターあたりから深谷駅までの間に引込線まで作っちゃったらしく、その途中に4つの駅まであったというから驚きだよね。
何処にその線路や駅があったのか今では分からないけど、その当時の軍のやることは本当にめちゃくちゃだったんだね。
もし、この工場のことがアメリカ軍に知れたり戦争がもう少し長引いていれば確実にこの深谷も熊谷同然の空襲にあって多数の犠牲や甚大な被害があってたかもしれない。
本当にギリギリの終戦だったわけだ。
いやぁ、まさかねぇ、この場所で戦争の傷跡を見ることになるとは思いもよらなかったよぅ。
でもまたひとつ、勉強になったよ。
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