2015-01-31 Sat
橋に隠された歴史あり。街はそこから始まった。
「行人橋」に歴史あり。
確かに行人橋にはすごい歴史が刻まれてたよね。
だけど調べてみるともっとすごい橋を発見しちゃった。
ご近所の方々はもちろんご存じでしょうが、ワタクシ、お恥ずかしながらその橋の読み方さえ分からなかったよ。
その名も「金燈籠橋」


”かねとうろうばし”と読むんだよ。

この金燈籠橋に深く関わっているのが秋元町の秋元氏。

あのAKB48をプロデュースした秋元氏じゃないよ、秋元町の秋元氏(ちょっと違うかな)だかんね。
秋元氏、実は深谷上杉家の重臣で、後に徳川家に使え最後には館林藩のお殿様にまで上り詰めた秋元家一族。
その館跡が秋元町に残されてるんだけど。
知っている人は知ってるだろうけど、知らない人はびっくりしちゃうね。
だって道のど真ん中にど~んとあって、まるで駅前のロータリーみたいになってるんだもん。


その秋元(長朝)氏は徳川家康が亡くなって日光に納められると、それまでの恩に報いるために巨大な鉄製の燈籠を作ったそうな。
だけど非常にも格の違いだとか訳のわからない理由で奉納を拒否されちゃったらしく、結局は世良田の東照宮に納められたんだと。
その巨大な燈籠を作った場所がここ、この金燈籠橋近くなんだって。
そんなすごい鉄工所があったなんて驚きだよね(その時代に鉄工所はないだろう)。
それよりもその逸話がいまだに残され、その名を橋の名にするなんてなんかとってもかっこいい。
金燈籠橋、歴史だよね~。
スポンサーサイト


にほんブログ村