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Author:nonki
生まれも育ちもわがまち”ふかや”
早いもので人生も半ばを過ぎ、今まで忙しく見過ごしてきた身の周りをもう一度見つめなおし、ゆっくりまったりどっぷりとこの街で生きて行こうと思っております。

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それはむかし、むかし。。。

広大な大地に残された歴史。

人々の暮らしはここから始まった。


近頃、何度となく明治・大正へとタイムスリップしているワタクシ。

その度に聞き慣れない地名に疑問をもったりもして。

「榛沢郡」、「男衾郡」、そして「幡羅郡」

えっ、そんな郡、知らないよねぇ。

調べてみれば今の深谷はその昔、この三つの郡の村々を再編成しながらできていった町なんですって。

要するに平成の大合併みたいなことが昔から行われていたということ。

榛沢郡=岡部・花園・川本・深谷地区・藤沢地区・豊里地区・大寄地区
男衾郡=荒川以南の全域(本畠)
幡羅郡=国済寺以東の幡羅地区・明戸地区
※現在の深谷市の各地域のみ掲載 (誤りがあるかも知れませんが何卒ご容赦を)

そのなかでも新聞紙上や深谷市広報等で話題となっていたのがこちら

幡羅郡の【幡羅遺跡】

P1040111.jpg

埼玉県内でこのような遺跡が発見されたのはこの幡羅遺跡とやはり深谷市の中宿遺跡(榛沢郡)だけだそうな。

P1050019.jpg

いかにこの地域が開発されずに残されていた、という裏返しでもあるわけで、喜んでいいのやら悲しんでいいのやら・・・フクザツ。

では、実際に現在はどのようになっているかといえば・・・・

P1040114.jpg
P1040115.jpg
P1040110.jpg

広大な農地となっており、その面影は全く見当たらりましぇ~ん。

そう、今は埋め戻され土の下で再び永い眠りについたというわけ。

うんうん、それでいいよね。

中宿のように正倉が復元され公園になるのもいいけど、何となく静かにそのまま後世にまで伝えてあげたい、なんて思ったりもする。

もしかしたら数千年先には今のワタクシ達の暮らしぶりも遺跡となって発見され、その時代の人たちに発掘されたとしてももう一度静かに眠らせてくれと願うかもしれない、いやそう思うよきっと。

P1050001.jpg
P1050008.jpg
P1050004.jpg

だからこの埋め戻したという選択には賛成だし、これはこれでよかったと思ったよ。

もしその時代の人々が天から見下していたら、きっと胸を撫で下ろしたと思うよ。

だって、「こっぱずかしいじゃん」、なんてね。

おっと、お話が横道にそれちゃったけど、この”幡羅”という文字。

元々はこの一帯が広くなだらかな平地だということを意味する「原」という地名だったのだそうな。

それが713年に地名は二文字の嘉名(おめでたい名前)じゃなけやいけないなんて変な令が発令されたらしい。

んで、奈良時代以降は雅な文字を使った「幡羅」となったわけで、でもこれは今様に”ハタラ”とは読まず、”ハラ”って読んだんですと。

完全な当て字だよね。

昔もシャレの効く御仁が居ったというこということだよね。

正式に”ハタラ”となったのは明治時代から。

今もそのハタラには原郷なんて地区もあったりして、それはきっとそういした昔の名残なのかもしれないし、その原郷や今の別府沼辺りには湧き水なんてものが湧いたりして、昔は随分水の豊富な土地柄だったようですよ。

P1040117.jpg

だからこそお米もたくさん取れただろうし、正倉なんていうお米の貯蔵施設を作ってその周りが栄えたりしたんだろうね。

今は逆に寂れちゃってるけど。。。。

ああ、ちなみに【幡羅遺跡】は”ハタライセキ”じゃなくって、”ハライセキ”ね、お間違いないように。








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深谷市 | 17:05:26 | コメント(0)